日々を楽しく過ごしたい!

ランニングのこと、仕事のこと、日々のことを徒然と書き綴ってます!

悩みながらもランニング中 - その他徒然

前回記事にも書きましたが、ランニングの次に向けた目標で悩んでおりました。

Sub200に向けて、フル後の疲労との戦い

Sub200(200分切り=3時間20分切り)を目指そうと決めてから、何度か4分20秒台で走ってはみるものの、やっぱりしんどくはある。

またフルのときにやや無理をしたのかロングランに出た際にも15kmすぎくらいから身体の奥の方から疲れ/重さが吹き出るような感じがあった。

なので、今月はあんまり負荷はあげずにゆっくりしながら落ちない程度にランニングを楽しもうかと思ってます!

TVを見ながらの徒然(残業について)

さて、TVなどを見ていて夫婦で徒然に話あっている中で出た話題で「残業について」

先日、電通の方で若い人が亡くなって、残業は駄目だ的にいくつかTVで話が盛り上がっているのを見ておりました。

それについてのあれやこれやで感じたことを。

  • 意味のない残業や、残業の無理強いをなくしていこうという意見は素晴らしいと思う。
  • ただし、いくら「残業をなくそう」と掛け声をかけても、「残業してまでもやらないといけない/いけないと思ってしまう/帰れないこと」に対して手を打たない限りは、なかなか解消が難しい問題だとも思う
  • そう考えていた矢先に福岡で、道路陥没の事件が起きました。
  • 一方でこの事件への対応については「美談」として語られている
  • でもこれって、明らかにこのスピードで対応が出来ているということは「超契約的」というか事前の契約交渉とか価格交渉とか抜きにして、そんなものいいから復旧第一的にやったのだろうと推察される。(まともな上場企業が責任問題とか契約条件とか法務面とか正攻法で話あっていたらそんなに迅速な対応は難しいものと思われます。)
  • また現場の職人さんたちはおそらくほぼ不眠不休での対応に当たられていたものと推測される
  • これが「美談」扱いで、電通の事件は「惨劇」と扱われているが、見方を変えると「サービス品質に対する(過剰なまでの)こだわり」という点では同じものがあるように感じます。
  • 福岡の事件の対応のことを貶す意図は全くありませんが、「残業」の問題を考える場合には「適正なサービスレベルとは何か」という問題もキチンと考える必要があるように感じています。
  • つまり今回の福岡の事件などでも国によっては平気で付近一帯の方は別途補償で切り離して、工事自体は数ヶ月かけて(日本の感覚から言えば)ゆっくりと直すというアプローチを取っていたように感じます。
  • この件にかぎらず、飲食、サービス業などなどで「お客様は神様だ」という言葉のもと「常に過剰なまでのサービスレベル」が当たり前として要求される社会的な雰囲気があり、それがある面で「残業」という結果に結びついているような気がします。(もちろんそれだけではなく適切にITをつかいこなせない、無駄な残業をしていても残っている人を評価する、とか色々と複合的な要因はあるのだと思いますが。)
  • また上司のアイルランドの方が話しておりましたが「日本のサービスは素晴らしい。またとっても真面目に物事にあたっている、その姿勢には関心する。一方で要求されたことをそのまま実現しようとするあまり非合理になる点がある」とのこと。
  • 日本では仕様書やお客さんが要求するのが少し非合理で、それをそのまま実現しようとするとコストが高くなったり、複雑化してしまうようなケースでもそれを誰も指摘せずに、「作ってしまう」。これが欧米だと「それは出来ません。でも我々が持っている◯◯なら、それは出来ないけどこういう風に実現する。貴方の要求している通りではないけど、これだとこういう嬉しさもあって、こっちだといかがでしょうか」という風に合理的に話をしようとする、とのこと
  • こういう側面も確かにあるのだろうなぁと、感じます。

いずれにせよ、「残業」の問題って結構根深い話だと感じるので、「根っこにあるもの」に真正面から向き合って解消するような動きもセットでしていかないと(またそういう根っこは国民性とも絡むので、一朝一夕には解消も難しいですが。)なかなかすぐに解消するのは難しいのだろうなぁと感じる。

というような話を徒然と考えておりました!