家事を分担することの難しさ
昨日ランと筋トレをしたので今日はお休み。
ゆーっくりと寝てリフレッシュしてからテニスを楽しむ。今日はランはお休みだったので、全然関係ない話を。
家事を分担することの難しさ
月に1度、自分自身とメンバーの英語力向上のためにアイルランド人の女性上司とお昼を食べながら英語で話をする会を企画/運営している。
その中でとあるメンバーが2016年の抱負として「奥さんを助けるために家事を頑張る!」という話をしていた際に、その女性上司からは「家事を助けるという意味では、「あれをやって」「これをお願い」と指示をすること自体が面倒なので、何も言わずに自分が考えて動くのが大切」という話をしていた。
それは確かにその通りだと思う。「あれをやってください」「これをお願いします」というのは精神的に負担だし、なにより仕事みたいで全然「楽になっている」感がない。
ただ、その場で自分からも発言をしていたのだが、「だけど、それって前提として「家庭のルール」を知っていないと上手くいかないですよね?」と。
家庭のルール
各家庭には、お皿をしまう際にはどことか、洗濯物を干す場合◯◯はここ、とか掃除はここはこれを用いて、とか細かいルールが無数に存在しているのが普通だと思う。
だが、その家庭のルールを理解せずに家事をした場合には、「これはあっちの棚」「あー、こういう干し方じゃなくて・・・」とか、そういうことを言われるケースがあり、ここが既にして最初の「やる気」を大いにそがれる難所になっているように感じる。
という話をその女性上司としていた際に、
「それは全くその通り」「あくまで自分たち家庭の例として」と話してくれたのが
- 家事をやる人にはその人なりの「やり方」「ルール」があることをお互いに話する
- やってもらう方は、やってあげる方が持っているルール、やり方を尊重することを基本にする
というのをキチンと話あって進めていたとのこと。
さすがは何でも明文化、ルール化してコミュニケーションを取る海外流のやり方、と感心した。
が、これって結構大事なことのように感じる。
自分のやり方と相手のやり方との摺り合わせ
大人になっている人の場合、男女を問わずに、それなりにその人なりの(=家事にかぎらず)やり方、進め方、好みのスタイルがあるものだとは思う。
だけど、誰かと一緒に暮らす場合には、そういうスタイルややり方を摺り合わせする必要があったりする。
しかも家事の場合は「慣れている」「慣れていない」「一般的なやり方」というのが存在するだけに、どうしても慣れている方から一方的に叱責する、一般的なやり方をしらない方が馬鹿にされる。(⇒結果、一緒にやろうという気持ち/モチベーションが萎えてしまい、やらなくなる。)
というのが、比較的多く発生しているように感じられる。
こういうのは別に家事にかぎらず、仕事でも、普段の人付き合いの距離感の取り方でも、何でも結局のところは同じようなものだと思うが、これってなかなか難しいなぁとは思う。
- やろうとしている人のやる気、意思、やり方、スタイルは尊重する
- 特に最初は上手くは出来ないこともあるので、温かく見守る、出来てきたこと観察する/褒める
- 慣れてきたら、もっと良いやり方、一般的に良いとされているやり方、新しい視点などを適宜話をして、すり合わせる
というようなステップを踏むのが望ましいのだろうとは思う。
が、これって当然ながら時間はかかるし、最初はすごく手間だし、「楽になる」どころか「余計に大変」なのが現実だと思う。
でも、こういう手間を惜しんでいては結局、「自分ばっかりがやっている」「相手は何もしてくれない」という現状が変わらないのも事実だと思う。
コツコツと積み上げていくことの大切さ
近頃の書籍では「10分間で学べる」とか「1週間で出来る」とか、簡単さやお手軽さをうたうものが溢れていたりする。
が、自分は何となくそんな短時間だったり、簡単に出来ることって限られているので、結局のところは大半のことは日々の積み重ねをコツコツと、最初は辛抱して、出来てきたのを喜んで、だんだんと上手くなっていくものなのだと思う。
この「家事」の話にかぎらず、いろんな事には手間がかかることをキチンと認識して、例え面倒でもコツコツと何かを一緒に話しながらやっていくという姿勢をお互いに持てるような関係を周りの人と築いて行きたいなぁ、と。
何となく雑文みたいになってしまいましたが、新年のランチ英語会での話から、徒然とそのように考え/感じておりました。
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